四十九日の言い伝え
今回は、四十九日について俗に言われている言い伝えを書いてみようと思います。
とはいっても、私は宗教家ではありませんし信心している宗派もありませんのでこれから書く事を信じている訳ではないのですが、
私が葬儀の世界に関心を持つきっかけになったお話なのでもし興味がおありの方がいらっしゃればお読みください。
なお、私独自の解釈になりますので、どうかご容赦くださいませ。
今一度、興味がある方だけご覧ください。
また、葬儀後の間もない方は見ない方がいいかもしれません。
かなり、恐くて辛いお話になります。
葬儀の時、お客様に聞かれても詳しく話すことはしてません。
大切な人を亡くして辛い時に追い打ちをかける事になりかねないお話だからです。
ただ、昔からの言い伝えというのは人が正しく生きていくために恐くしたり、厳しくしたりしているものだと思います。
今回のお話に関しては亡くした人を思う心(供養)があれば大丈夫。
と、私はとらえています。
前回のブログ「不思議な体験談」でも触れましたが、お亡くなりになってから、葬儀までに必ず「納棺」を行います。
この「納棺」に遺族が参加して行なう場合は「納棺の儀」として執り行います。
この儀式は名前の通り「納棺」をする事が目的ですが、遺族が故人の身の回りのお世話をする最後の場面でもあります。
お顔を拭いて頂いたり、靴下をお履かせ頂いたり…
49日の旅をしない宗派や宗教では今回のお話は当てはまる部分はありませんが、多くの仏教の葬儀の場合はここで旅のお支度を致します。
旅の支度は
足袋、脚絆、手甲、編み笠、草鞋、数珠をお持たせして、白装束を着たり、掛けたりします。
この他に、
あの世では正装といわれる額にあてる三角の布「天冠」
白い袋「頭陀袋」には三途の川の渡し賃といわれる「六文銭」が入っています。(今は、印刷されたもの)
それから、旅の途中の厄災を祓う「金剛杖」
これらをお持たせします。
こうして、これより49日の長く険しい旅に向かう事になります。
この後の死後の世界については「十王経」という書物に書いてあります。
亡くなって七日目を「初七日」その次を「二七日」、「三七日」「四七日」と数えていき「七七日」を「四十九日」といいます。
この七日ごとに区切るのは、七日ごとに「裁判」のようなものが行われ、生まれ変わる先を決められるのだそうです。
裁判を行うのは「十人の王」そのうちの七人の王が「四十九日」までの裁判を行います。
この王達は普段の姿は仏様であり、裁判の時は「怒りの姿」で現れます。
その中で「五七日」に行われる裁判の裁判官が「閻魔大王」といわれていて、普段は「地蔵菩薩」
「お地蔵様です」。
生まれ変わり先は六の世界があり、これを「六道」といいます。
「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天上」
の六道になります。
ちなみに、全く罪を犯していない「極善人」
また、全くいい事をしていない「極悪人」
は旅をしないそうです。
「極善人」は即、「仏」になりますし、「極悪人」は即、「地獄」行きが決まります。
ただ、そんな人間は「いないに等しい」ので辛い旅を余儀なくされます。
この辛い旅を軽くできるのが、皆さんの「追善供養」なんだそうです。
人は亡くなると「この世」と「あの世」の間、「中陰」という場所にいき旅をするそうです。
この「中陰」が終わるのが亡くなって49日目にあたるといわれていて、これを「満中陰」といいます。
人は亡くなるとその瞬間、真っ暗闇になりどこに向かうものかもわからぬまま闇をさまようのだそうです。
そのうちに鬼が現れ、追い立てるのだそうです。
そうやって「死出の山」へとたどり着きます。
この山は針のように険しい山で生きて上ることは出来ません。
そんな場所を鬼に無理やり登らされ、死んではよみがえりを繰り返すのだそうです。
こうして、山を越えると「最初の関所」にたどり着き「王」による裁判が執り行われます。
この日が「初七日」にあたります。
次の七日間は「三途の川」渡ります。
話はそれますが、「三途の川」には「賽の河原」があり、幼くして亡くなった子供たちが両親のため石を積んで供養塔を作っているそうです。
親より先に死んでしまった「親不孝」を償うためです。
完成間近になると鬼が壊してしまうため、延々と積み続けます。
この可愛そうな状況は、子供を大切に育てなかった親への戒めだそうです。
そんな子供たちを助けに来てくれるのが「地蔵菩薩」(閻魔様)なんだそうです。
話は戻って、「三途の川」の名前の由来は三つの渡り方があるからだそうで、
一、橋を渡る
二、浅瀬を渡る
三、深瀬を渡る
尚、川幅は320キロメートルあるんだそうです。
生前、人にいい事をしてきた者ほど楽にわたることが出来ます。
この川を渡る時に「渡し賃」が必要だとか必要じゃないとか…
川岸には鬼の老夫婦がいて、白装束をはぎ取ります。
はぎ取った白装束を木の枝にかけ、罪の重さを量ります。
罪が重いと折れんばかりに枝がしなるそうです。
この川を渡るのも過酷で、岩が流れてきたり、大蛇がいたりなんだそうです。
渡りきると二回目の裁判が始まります。
こうやって、裁判を繰り返していくのですが行く先が決まった時点で旅は終わります。
決まらない場合に旅が続いて、最大で49日間かけて結果が出るのだそうです。
この辛い旅を早く終わらせるのは、やはり故人を惜しむ人たちの「供養の心」が王たちに届いた時なんだそうです。
行く先は多くが「閻魔大王」の裁きの時、「五七日」(35日)で決まるといわれています。
今回は、このくらいで49日のお話は終わらせて頂きます。
これ以上細かく書いても残酷なお話ばかりです。
こんなに残酷なのは、「悪行はしてはいけない」とか「人にいい事をしなさい」、「欲に囚われてはいけない」などのメッセージなんだと私はとらえています。
でも、私は生きる事って本当に大変だと思うんですね。
亡くなったが人たちがこの世で歩んだ人生だって本当にいろんな事があったと思うんです。
「本当にお疲れ様でした。」
そう思って、皆様をお見送りしています。
そんな方たちが亡くなった後に、またこんな苦労をしないで欲しいと正直、思います。
ですから私は、信じていません。
こういったお話は諸説あり、どの解釈が正しいのかはわかりません。
私はこういった由来みたいな事が好きなので、色々調べたり聞いたりした自分の解釈でこのブログを書きました。